観てきました。今さら柳楽優弥少年(長男の明役)の優美なマスクを褒め称えても仕方ないのですが、じっと見ていて、シュシュトリアンに出てた田中規子(雪子役)の顔のつくりに近いんじゃないかと思ったのです。1993年当時の彼女と並べ立たせたら兄弟モノもあり得る? と、あり得ない想像をしながらシュシュトリアン写真集「雪月花」をいまこの項を書くために改めて見てみました。…似てはいませんね。ま、こういうイメージを持つ野郎がひとりくらいいてもイイじゃないかということでお許しください。
さらに妄想はひた走り、今度は、長女の京子を演じた北浦愛の顔が石橋桂(月子役)に見えてきました。いや、北浦愛はあの白いカーディガンを着て髪をたばねて座っているだけでもう、私の幼い頃の記憶を刺激する存在になってしまったのだけれど、要は小学校の頃ああいう感じのコが好きだったのだけれど、だから今でもカーディガンの似合う小柄な女のコがいとおしいってことまで含めてとりあえずこっちへ置いといて‐‐‐、まずは映画を観続けていたら、彼女が月子に見えてきてしょうがないのでした。
では花子さえいれば完璧じゃないかと思ったのですが、末っ子ゆきちゃん役の清水萌々子…幼すぎ。可愛すぎ。では、残った次男、茂役の木村飛影君は…どっちかっていうと篠山だなこりゃ。
というわけで無理やりシュシュトリアン置き換え計画は頓挫したのです。なんのこっちゃ。
『なんだ感想もロクに書いてないじゃないか』と思われるとせつないので少し書いておきます。正直、元ネタの西巣鴨子供置き去り事件もチェックしないようにして観に行こうと決めていたのに、観に行く直前に、感想が書かれたサイトを迂闊にも覗いてしまい、粗方の展開を胸に収めてしまってから観たのです。ああ、なんたることよ。最後のほうの一番の事件の衝撃もスクリーンから味わうことなく、残念な思いです。
ええと、以下は、どう書いてもネタばれになるのでごめんなさい。
で、つまるところ「火垂るの墓」なのかとも思ったけれど、ラストシーンの向こうに、さらなる悲惨な状況が待っていると考えたくは無い…。「火垂るの墓」の少年とは違って働く意思はあった明の未来に暗闇を置きたくはないのだけれど。
横断歩道で明のそでを引っ張った茂のカットで、ゆきの姿がフラッシュバックしました。『次はぼくなの…?』と訊いているかのように私には見えて、いささかぞっとしました。物語は救済されることなく、なんだかキレイな止め絵で終わります。「全員が一緒に過ごす」という縛りで生きて行こうとする以上、何か犯罪を重ねてでもゆかない限りは、あのきょうだいたちは命がつなげないと思い、慄然としたのです。
というわけで、私は暗然とした思いで映画館を後にしたひとりなのですが、最後にイイなと思ったことを。映像や音楽がとても美しかった。ゴンチチやタテタカコの音楽は、あの映画の質感に似合って素晴らしいものだったと思いますね。サントラはもしかしたら買いかも、と思います。以上です。
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